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白龍*ドラゴン&セラフィナイト 白龍の組紐ブレスレット

¥9,800 税込

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天帝の命を受け、地上に舞い降りた「白龍」のブレスレットです。


皆さんは「龍」と聞くと、どのような印象を想い浮かべますか?縁起物や和柄、入れ墨のデザイン、中国っぽい、漫画やゲームといった創作世界でも登場するキャラクターなど、龍に対する印象は人それぞれ異なるでしょう。またよく見てみると「体の色」も様々で青龍、赤龍、金龍、白龍、黒龍…など「色々」という言葉通りカラフルに存在していることが伺えます。

龍が色を身に纏っているのは何かしら意味があるようです。例えば黒龍の場合、その黒色が見るものに闇を連想させるからか、黒龍は光が苦手で普段は太陽の光が指すことのない暗い海底に身を潜ませており、月の光さえ指すことのない新月の夜になると海上へ姿を現す…と言い伝えられています。

対して反対色である白色は神聖さを想い起こすためか、この色を身に纏う白龍は天上界に住まう「天帝」という至高神に仕える聖なる龍と言われています。天を駆け抜けるスピードはどの龍たちよりも速く、地上では魚に姿を変えて人知れず泳いでいるのだそうです。

龍にまつわる話を見てみるとどうやら龍には性格や特徴があるようで、その特徴は自身が身に纏っている色がもたらすイメージが反映されているようです。

この「色」についてですが、色には心身に及ぼす力があると言われています。燃えるような赤色の服を着ると体温が上昇して精神的にも活気が上がるというデータがあり、静寂な青色は肉体の緊張を解いてリラックスさせる効果があることが分かっています。

またその時選んだ色によって現在の心理状態がわかることもあります。赤を選んだ時は活気が溢れている状態でもあれば同時にその活力を求めている時でもあり、青を選んだときは気持ちが冷静な状態であり、また落ちつきたい時でもあるようです。

色は感情を例えることもあって赤色はエネルギッシュである分「怒り」を示す色。そして気分が暗い状態のことを「ブルーな気分」と表現するように、クールな青色は「憂鬱」を意味する一面もあります。

龍にとって身に纏う色は人間に置き換えれば衣服のような一面もあるのでしょうか。人の心理状態が服の色で表されるように、龍の性格や心の状態も体の色で表現されているのかもしれませんね。自分の心の状態が体の色に映し出されているのか、もしくはその色を纏うことでその色に沿った効果が龍の心に影響を与えているのか…。

選ぶ色で気持ちが表れていることを考えれば、その時選んだり気になった龍にはなにかしらの意味があり、まだ自分でも気づいていない気持ちが隠されているのかもしれません。


そんな色とりどりな龍たちですが、そもそも龍とは一体何なのか。疑問に想ったので調べてみたのですが、龍は神社では「龍神」として祀られていることもあれば仏教では「龍王」といって、仏法を守る守護神として存在しています。運気の向上を計る風水では大地に流れる「気」を龍と呼んでおり、中国では龍は「皇帝」の象徴で、歴代の皇帝は龍と例えられていました。他に干支でも龍は「辰年」として姿を見せています。

こうして見てみると龍は様々な場所で姿を見せてはそれぞれ異なる役割を持っているため、龍が何たる存在なのか謎は深まるばかりです。

けれど龍について調べていて個人的に想ったのですが、龍とは一体どんな存在なのかと問われると「龍は水である」と答えることが出来るかもしれません。龍はそもそも『水の力を司る水神』とされていて、いにしえの時代では干ばつが発生すると水の力をもつ龍に対して雨乞いが行われていたそうです。水との繋がりから、うねる川やごうごうと流れ落ちる瀧を龍と表現されることもあります。

龍が龍神、仏法の守護者としての龍王、風水では気、皇帝の象徴、干支における辰年など様々な場所で龍の姿を見ることが出来るのは、水が注がれるコップという器の形によって形状を変えることと似ているからなのかもしれません。そして龍が水ゆえに「龍とはこういう存在だ」という考え方も人それぞれ異なるのでしょう。人それぞれ異なる心という器の形によって、龍に対する見解も心の形状に沿って変化するからです。はたして皆さんの心にしてその器はどのような形をなして龍という水を受け止めているのでしょうか。

現代では龍に対して雨乞いを行うことは無くなりましたが、よく考えてみれば人は何かしら叶えたい目標や願望があれば龍神が祀られている神社に参拝して願をかけたり、運気を良くしようと風水を試して龍という気を家屋の中に招き入れようともしています。

時代が変わっても人が龍を見つめることは変わらないようです。雨が降って欲しいという形なき願いが雨という形となってこの世に現れたように、胸の内に秘めていた未だ形を伴うことのない願いが、雨が降るかのごとく眼の前に現れて現実のものとなってほしいと…。

龍に願いを託すことは現代における雨乞いであるのかもしれません。

【龍と暦】
様々な場面にて姿を現す龍ですが、龍は日々の生活を動かす「暦」の中でも息づいているようです。

伝承によると龍は「3月21日頃の春分の日になると天に昇り、9月22日頃の秋分の日になると地上に降り立ち身を淵に隠す」と言われています。なぜ龍は春分と秋分の日に昇り降りするのか考えてみたのですが、これはもしかすると「農作物の成長サイクル」が関係しているのかもしれません。3月の春分から9月の秋分の間は農作物が成長して収穫できる期間であり、日本人と長く付き合ってきた食物のお米もおよそこの期間内に出来上がります。

またもう一つ考えられそうなのが「蛇の活動サイクル」です。これもまた伝承によると、龍は「蛇が何百年もの年月を経ることで龍になる」という話があります。そのため龍の原型とも言えそうである蛇ですが種類によっては蛇は10月頃になると冬眠するために土の中に入り、3月の春頃になると地上に姿を現して活動を行うのだそうです。蛇の活動サイクルと春分と秋分の日が近いことを見てみれば、龍が昇り降りする理由の一つに蛇の行動時期も反映されている事もありそうです。

そして暦を一年と全体的に見てみたら、龍は春分と秋分の日のみならずより深く暦の中に姿を見せていることが分かりました。

3月3日、女の子の健やかな成長を願う「桃の節句」。この行事はそもそも「古い皮を脱ぎ捨てて新しく生まれ変わる蛇の脱皮にちなんだ健康祈願の行事」であったらしく、旧暦で巳(み、へび)の日に行われていたそうです。

桃の節句を過ぎて春分の日に龍が天に昇ると今度は5月5日の「端午の節句」。この日は男の子の成長と立身出世を願う行事ですが、この端午の節句も元は菖蒲の花を用いた健康祈願の行事でした。時代が下るにつれて菖蒲(しょうぶ)が武道を重んじる「尚武(しょうぶ)」へと繋がって次第に男の子の行事へと変わっていきました。

この時期が近づくと鯉のぼりが掲げられるようになりますが、これは中国にある言い伝え…「黄河の中にある、龍門という流れの激しい場所を登り切ることができた鯉は龍になる」という伝説が由来となっています。蛇が龍になる話があれば、鯉が龍になることもあるようです。

5月5日の険しい龍門と暑い夏を通り過ぎ、9月の秋分の日に龍が地上に帰還すると今度は冬目前となる「11月」。この月は和名では霜月と呼ばれるのが一般的ですが呼称は他にもいくつかあり、中でも11月には『竜潜月』という呼び名があります。竜潜という言葉の意味ですが、ここでは龍を優れた人や英雄と例えており、その龍のような人物が潜んでいる状態…すなわち「龍のような優れた人や英雄、豪傑な人が世の中に出て活躍することなく潜むかのように過ごしている」という意味です。龍は9月に降りて淵に隠れるので、月日の流れで行って11月は龍が潜む月と言われるのは納得がいくでしょう。

3月の春に蛇が冬眠から目覚め、春分の日になると龍となって飛翔し、5月には鯉が自分も龍になりたいと龍門へ果敢に挑み、9月の秋分の日に地上に戻ってくると11月は再び飛び立つ春の時を待つように深い眠りにつく。そして春が訪れると眠りから覚めた蛇が古い皮を捨てて龍へと生まれ変わり、大空へと飛び立つ…。

一年の流れを見ていたらそれはまるで一匹の蛇が春に誕生し、龍へと進化して天に昇り、秋に地上へ帰ってくると淵に潜り眠るというある種の死を経験したのち、また蛇となって再び春に蘇る…という死と再生を、脱皮のごとく繰り返しているように見えました。

種を蒔く時や農作物の成長と収穫の時期は移ろいゆく季節と時間によって動かされるため、農耕と暦は密接に関わり合っています。太陽の光と同じく水も植物の成長に必要不可欠であるため、水の力を司る龍も暦の中に姿を見せるようになったのかもしれませんね。どうやら龍は「大自然の一部」でもあるようです。


冒頭でも語ったように龍にそれぞれ性格がある…。白龍がどのような龍なのか、纏っている白色の意味とまつわる伝承をヒントにして、白龍について調べてみました。

【白】
白は見てもわかるように「清潔」さを表す色。色彩心理において人は白色を見ると汚してはいけないと想い、清らかな状態を保とうとする気持ちを起こすのだそうです。また白色を見ることによって穢れのない状態にしたいという気持ちも生じさせます。清潔感が強い白色はお風呂や洗面台など身を清潔にできる場所にして清潔にしなければ不衛生となってしまう場所にもよく使われるでしょう。清らかさを示し、また清らかにする白色は洗濯といったクリーニング、掃除や清掃を連想させる色でもあります。

そんな、清らかな白色の最大の特徴は「神聖さ」でしょう。神聖さから「神を表す色」とされ、各地の信仰面において重要な色でもあります。また白はその神という「聖なる存在に仕える者」を示す色でもあり、聖職者の法衣が白であることが見受けられます。日本でも身を祓い清めて心身ともに清潔さを求める「神道」においても巫女や神主の服の色に用いられる色です。白蛇や白い鹿など動物でも白い体を持つものが誕生して人々の前に姿を現すと「神の使い」とみなされることが多いようです。

白い服を着る人と言えば、医師や看護師など医療に従事する人もよく想い出されるでしょう。汚してはいけないと想い想わせ、聖職者や医療現場などを象徴する白は「不正やミスが許されない緊迫した色」でもあるでしょう。

白は時に「生死に関わりのある色」でもあり、あの世に旅立つ人に着せる白装束の色でもあります。現代では見送る時、参列者は黒を着用しますが時代によっては参列者が白色を着ていた時があったそうで、時代劇などでも葬儀のシーンがあると参列者が白を来ているシーンが見られます。白衣に象徴される医師や看護師も人を看取ることも多いでしょう。

何も綴られておらず、これから色々な絵や物語が刻まれていく真っ白な1ページのように、白色には「初め」や「新しい」といった意味もあります。「白紙に戻す」という言葉もあるように白色は「リセットの色」にして「再スタートを切らせる色」。白いページに綴られた物語が最後まで埋め尽くされ、書ける部分である白の場所がなくなった時、ページをめくってまた新たな1ページを迎えるように…。

【白龍と七夕】
前述したように天帝に仕え、どの龍たちよりも素早く天を駆け抜け、地上では魚の姿で泳いでいるとされる白龍。

ところで白龍が仕えているこの「天帝」という至高神。名前を聞いてもどんな存在なのかあまりピンときませんが、一説では天帝はあの「七夕伝説」で有名な織姫の父であるらしく、彼女とは親子であるとされています。

機織りの仕事をしていた織姫と牛飼いであった彦星。二人は結婚を機にお互い夢中になってしまい、仕事を疎かにしたため怒った天帝が二人の間に天の川を敷いて会えなくなるようにしたのですが、織姫があまりにも悲しんだため7月7日の日のみ合うことを許されたこのロマンスは有名でしょう。

天帝の側にいて仕えていた白龍が七夕伝説において姿を現して関与したというお話は聞いたことがないのですが、なんとなく想うことがあります。織姫と彦星を出会わせ、そして一度仲を切るも離れていくことがないよう再度結ばれることができたその裏には、織姫の父である天帝に仕えていた白龍が関わっていたからなのかもしれません。かつて龍を川と見て表現したことを考えれば、二人の間に入ったあの天の川は実は白龍だったのでしょうか。二人の運命の赤い糸を一旦切って白紙に戻すも、離れていくことがないよう縁を結んだのは白龍の力によるものなのかもしれませんね。

一年の内で唯一会うことが許された七夕の日になるとカササギが現れて、天の川に橋を架けて二人を出会わせるそうです。白龍は地上では魚に姿を変えて人知れず泳いでいるとされる伝承から考えてみれば、白龍は表舞台に現れるときはあまり自身の姿を見せようとしないのか、このカササギの正体ももしかしたら白龍が鳥に姿を変えた姿なのかもしれません。

現代では短冊に人それぞれ異なる願い事が書かれ、笹にその願いを託される七夕ですが、その歴史を遡ってみれば当初は機織りの仕事をしていた織姫にちなんだようで、機織りや針仕事の上達を祈願する行事だったそうです。かつて龍に雨を求めていた雨乞いが様々な願望へと変わっていったように七夕も時代の移り変わりで変わっていったようです。彦星に会いたい、織姫に会いたいという織姫と彦星の両者の願いの糸を結んで七夕の日に会えるようにしたのも、七夕の日に笹に託された願いの糸を天へと繋いで成就へと結び橋渡しをするのも白龍の役目なのかもしれませんね。

ちなみに7月7日は時期的にはまだ梅雨にかかっていたりもします。それゆえ七夕の日に天の川を見ようと想ったけれど、どんよりとした雨雲がかかっていたので見れなかった…という経験は無かったでしょうか?7月7日に天の川が見れないことが多い原因ですがこれは「旧暦」が関係しています。旧暦で7月7日にあたる日を七夕としていたため、現在の暦である新暦とズレが生じています。そのため旧暦における7月7日を新暦に当てはめた場合、毎年日にちに差はあるのですが2023年の場合は8月22日が旧七夕の日にあたります。この日に夜空を見上げれば、たくさんの星を纏う白龍にして天の川が見られるかもしれません。

龍が飛び交う暦の中、新暦と旧暦の両面から見て7月と8月は白龍が人知れず活躍していそうです。

【命の保護者】
真っ白なページに物語が描かれ、最後の時が訪れればめくってリセットされる…。これは人の一生とも似ているような気がします。生まれてからまだ何も描かれていない人生という1ページに人ぞれぞれ異なる物語が描かれていき、いずれ物語の終焉という最期を迎える…。

神を表すと同時にその神に仕える者を意味する事と、生死や弔いを意味する色でもある白をまとう白龍を見つめていると「命」についてよく考えさせられるようです。

日本の神様の場合、例えば織姫と彦星のように夫婦である「伊弉冉尊(いざなぎのみこと)」や「伊弉冉命(いざなみのみこと)」のように、名前をよく見てみると最後の「みこと」の部分は「尊」と書かれることもあれば「命」と書かれることもあります。神聖さを意味する「尊」と生命を表す「命」…。どちらも共通して「尊さ」をもっています。

これらを見ていて想ったのですが、尊くて命の名をもつ神に仕えるということは「生命という尊いものに仕える(守る)」という意味と似ているような気がしました。天帝に仕える聖なる龍である白龍は「生なるもの」に仕え、守っていく龍でもあるのかもしれません。

白龍の役割は白衣に象徴される医師や看護師など、健康と命を守る医療に従事している人々と似ているようです。白龍は龍の中で最も速く天を駆け抜けると言われていますが、白龍が速く駆け抜ける姿は命の危機に瀕した人の元へ一刻も速く駆けつけようとする救命救急士やレスキュー隊のようです。七夕で橋渡しをした白龍は命も橋渡しするようで、お母さんのお腹の中で成長して産まれてきた赤ちゃんを迎え入れて受け止め、お母さんの胸の中へと渡す助産師のようでもあります。

白がもつ清浄にする力やリセットさせる様子から白龍は清掃員のようにも見えます。神主がその場の穢れを祓い清めて白という清浄な状態に戻すように、白龍も汚れてしまった空間を掃除してきれいにする清掃員として活躍する時もあるのかもしれません。

目の不自由な方が白い杖をもって道を進んでいくように、白龍は白い杖となってその人の手を握り、道に迷うことのないよう導いていくような優しさを感じます。白龍は生きていけるよう手引していく龍でもありそうです。それは体が動かしにくい人をサポートする福祉活動を行っている人のようで、白龍は慈善活動やボランティア活動を行う人々のように見返りを求めない無償の愛を持っていそうです。


生きとし生けるもの達がもつ生命の「命」という言葉ですが「命令」や「命を受ける」という言葉があるように、命という一文字だけで「上の者から下の者へと下される命令」という意味を含んでいます。もしかすると私達命ある者は上という天に住まう神々から命という寿命を与えられ、生きていくようにと命じられて生まれてきているのでしょうか。

命令という言葉のように命がつく言葉に「天命」と「使命」もあります。天命という言葉は「天帝から与えられた命令」そして「寿命」という意味をもっています。そして使命という言葉は、「命令を下された使者が行わなければならない役目」という意味です。

自分の天命や使命は何なのか。まず天命や使命という考え方も人それぞれです。ただ、命という崇高なものを守る白龍を見つめていて個人的に想ったことがあります。

人は時に、自分にとって大切なものを『これは私の命だ』と、命と例えることがあります。「天命」は天から与えられた命令や生命という意味はもちろんのこと、天命とは「自分にとって大切な者や物事、目的」という意味もあるような気がします。そして使命は「その大切なものを守ったり目的を遂行するために生きる」ということも意味するのかもしれません。

天命や使命というと大きくて特別な者だけにあるような印象を受けますが、「人は皆生きていくように、という天命にして生命を与えられて産まれてきた。そして生きるという使命が皆にある」。そして、「天命という何か大切なものや目標がある。その大切なものや目標を守ったり行っていくために生きていくという使命がある」…ということもあるのかな、と想いました。

もしかすると白龍にとって天命にして大切なものは「天帝という神と生命をもつ者たち」なのでしょうか。白龍は「天帝という神、生命、人を守り仕えるために生きている龍にして産まれてきた龍」なのかもしれません。天命、使命…どのようなものでも、いずれも「命」に関わることであるような気がします。

時がが訪れればリセットされ、尊いという面から白色は命の色でもあるのでしょう。その色を纏う白龍は命の保護者であり、自身の天命を知り、使命に生きているようです。

白色は色の中でも最も汚れやすく、他の色に染まりやすい色です。けれどその色をもつ白龍がずっと清らかでいられる理由は、天帝や地上の生命という自分にとって大切なものを忘れることなく生きているからなのでしょう。天帝と生命を想う愛を灯火として、迷い踏み外すことの無いよう自分の歩む道を照らしているからなのかもしれません。決して離れることのない織姫と彦星のように、天帝と白龍の間にも赤い糸が存在しているようです。

…にしても、天帝や人を見守る白龍は別の存在で言えば人と神を仲介する『天使』に似ているのかもしれませんね。白龍や天使のような聖なる者は、命というその人の聖なる部分を見つめるようです。


そんな白龍を、日本伝統工芸の一つである組紐の技術を用いて作成。ブレスレット状にしてみました。龍の頭の形をした金具を付けており、全体が龍になるデザインとなっております。一本の紐状になっており、手首に2重に巻きつけてご使用いただく2連タイプのブレスレットです。組紐はコットン素材の糸を使用して組んでおり、コットンのふわふわ感で白龍に似た天使の羽をイメージしております。組み方は固く丈夫な作りになることからダイヤモンドを意味する金剛の名がついた「金剛組」という組み方を採用しました。

そして白龍には「熾天使セラフィム」の名を持つ天然石『セラフィナイト』を咥えさせました。

【セラフィナイト】…8ミリ
和名…緑泥石
石言葉…「平穏」「平和」「順応」

セラフィナイトのキーワード…
・平穏を好み、平和の道を選択する
・相手の気持ちを汲み取る
・発言に気をつける
・大切なものに気づき、天命を悟る
・初心の頃を忘れない
・自分を見失わない

セラフィナイトは深いモスグリーン色の中に羽毛のような白い模様が見える様子が特徴的な天然石。

セラフィナイトという名前の語源は天使の『セラフィム』から来ています。天使には9つほど階級がありその階級の中で最も高位に位置する天使がセラフィムと呼ばれ、神と直接関わることが出来る天使とされています。日本語では熾天使(してんし)と訳され、「熾」は「火が盛んに勢いよく燃える」という意味で、熾天使たちは神に対する愛と情熱で体が燃えているという説から熾という字が使われているそうです。

どこか天使に似ていて、天帝の側近である白龍はもしかしたら熾天使のような立ち位置にいるのかもしれません。余談ですがセラフィムは別の神話に登場するセラピムという、翼をもち蛇の姿で火のように空を飛ぶ稲妻の精霊を起源にもつとも考えられています。

セラフィナイトという石が誕生する経緯ですがそもそもクローライトという石があり、その中で天使の羽のような白い模様をもって生まれたのがセラフィナイトと呼ばれます。セラフィナイトがもつこの白い模様はフェザーインクルージョンと言い、天使の羽と例えられているのですが白龍の鱗と見てみるのも面白そうです。セラフィナイトは別名クリノクロアという名前でもあります。

熾天使セラフィムの名をもつため天使の石として知られています。天然石の世界を見てみれば天使の石と呼ばれるものは他にもあり、恐らく代表的なものは淡い水色をもった「エンジェライト」という石でしょう。この石はエンジェルと、天使の名をそのままもっています。

熾天使の名をもつセラフィナイトの性格は白龍の性格と似ていそうです。命の保護者としての性格がもたらすのか、セラフィナイトは命と命が争うことを望まず、平穏を好み平和の道を選ばせるのでしょう。セラフィナイトの穏やかな性格に触れていれば、わざわざ平和を乱すような行動は起こさないよう気をつけられるかもしれません。

争いを起こす人の裏には苦しみが隠されていることもあります。例えば体調が悪かったりすると健康に対する不安やストレスで心も穏やかではなくなり、周囲に当たり散らすこともあるでしょう。そうなれば、攻撃をしてくるというのは逆に言えばSOSのサインでもあるのかもしれません。相手がなぜそんなことをするのか、セラフィナイトは相手の気持を汲み取らせるような一面がありそうです。平穏を好み、相手を想うので発言にも気をつけるよう心がけさせてくれそうです。

セラフィナイトは白龍のように、天命という自分にとって大切なものや目的を悟る力があるのかもしれません。これが天命である、と100%の答えが出るというよりは「これが私の命なんだ」と悟るほどに、大切なものが何なのか気づくことができるということでしょう。自分にとって大切なものが何なのかは経験を通していくことで分かるような気がします。となれば、天命にして大切なものが何なのか気づくことができるのは本人だけなのかもしれません。大切なものに気づいて天命を悟った時、愛と情熱が火のように熾され、大切なもののために生きていくと想うようになりそうです。

まだ初々しい初心の頃に誓ったことも、歩んでいくうちに忘れかけたり外れそうになったりすることもあるでしょう。道を踏み外していたり目的を忘れかけていたらセラフィナイトはまだ始まる時だった真っ白な1ページの頃に誓った時のことを想い出させ、我に返るかのように気づかせるでしょう。

セラフィナイトは和名で「緑泥石」と呼ばれます。泥の中にいても白い羽根が他の色に染まらない強さを見せるセラフィナイトは金銭欲、権力や名誉欲で物事を判断しないようです。天命という大切で崇高なものをみつけてもおごり高ぶらず、謙虚さを保つ印象も見られます。白いものは汚れやすく、羽のある者は堕ちやすい…。自分を見失うことの無いようセラフィナイトは見守っていきそうです。セラフィナイトにとって持ち主が「命」となるのかもしれません。


個人的な感想ですが、白龍が活躍しているのかもしれない7月と8月になると天国を想い浮かべます。白龍も天使もいるのであろう、あの世にして「天国」。天国がどのような場所でどのような風景が広がっているのかは分かりませんが、夏の地上のキラキラした眩しさやモクモクと肥える入道雲と青い空をみていると、天国も夏のような風景が広がっているのかな…なんて想ったりします。

8月はご先祖が地上に帰ってくるお盆がある月でもあります。そんな時期にあの世の天国を想うのは、白龍の影響もあるのかもしれません。織姫と彦星という陰と陽のように相反するものを繋げ橋渡しした白龍は、あの世とこの世という相反する世界をも繋げて橋渡ししていそうです。

毎年七夕の日だけ会うことが出来る織姫と彦星。夜空に織姫を表すベガと、彦星を意味するアルタイル、そして二人を仲介するかのように位置するはくちょう座の夏の大三角形が夜空に浮かび上がり輝くことが、二人が再び巡り合うことが出来たことを証明しているようです。

何万年と続いてきた、消えることのない愛の炎が天上にある。白龍も天上で、天帝と地上の生命への愛で心に火を熾し、愛と情熱で燃えていそうです。

▷サイズ…咥えているセラフィナイトからカニカンまで含めておよそ40センチ+アジャスターで約5センチ延長可能

▷素材…
組紐:コットン
龍頭:着色後、コーティングとしてレジンを使用しています。

▷写真の撮り方に気を付けていますが、お使いの機種や端末・PCによっては色味に若干の差が出る場合がございます。

▷ハンドメイドです。龍頭や目の部分はボンドでしっかりと固定しておりますが、強く引っ張ったり爪や鋭利なもので引っ掛けてしまうと取れてしまう可能性がありますのでご注意ください。また組紐の部分も鋭利なものが引っかかると糸がほつれたり永くご愛用いただくにつれて経年劣化する場合がございます。

▷龍頭部分にレジンを使用しております。経年劣化や変色したり、強く擦ると塗装が取れてしまう場合がございますのでご注意下さいませ。またレジンでお肌が被れやすい方や金属アレルギーをお持ちの方が身に付ける際は自己判断でお願いいたします。

▷天然石にまつわるパワーをご紹介しておりますが、あくまで楽しむ程度でお持ち下さいませ。

▷返品・交換とサイズ変更不可となります。

▷当作家はいかなる宗教団体にも所属しておらず無関係です。

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