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善女龍王*ドラゴン&アメトリン 龍の組紐ブレスレット

¥9,800 税込

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弘法大師・空海とご縁の深い龍神『善女龍王』をイメージした龍のブレスレットです。


皆さんは「龍」と聞くと、どのような印象を想い浮かべますか?縁起物、和柄、入れ墨のデザイン、漫画やゲームといったファンタジー世界に登場するキャラクターなど、想い浮かべる印象は人それぞれ異なるでしょう。また龍はよく見てみると「色」も様々です。青龍、赤龍、金龍、白龍、黒龍など、カラフルに存在している様子が伺えます。

龍が色を身に纏っているのは何かしら意味があるようです。例えば黒龍の場合、伝承によるとその暗闇のような黒色が示すのか、黒龍は光が苦手で普段は太陽の光が届くことのない暗い海底に身を潜ませており、月の光さえ指すことのない新月の夜になると海上に姿を現すそうです。

対して反対色である白色は神聖さを想い起こすことからか、この色を纏う白龍は天帝という至高神に仕える聖なる龍と伝えられています。龍にまつわる話を聞いてみるとどうやら龍にはそれぞれ性格や特徴があるようで、それも自身が身に纏う色がもつイメージが反映されているようです。

そんな色とりどりな龍たちですが、そもそも龍とは一体何なのか。疑問に想ったので調べてみたのですが、龍は神社では「龍神」として祀られていることもあれば、仏教では龍は仏法を守護する「龍王」としても存在しています。風水では大地を走り家屋に流れ込む「気」を龍と呼んでおり、その気が走っている道を「龍脈」と言い、この龍脈が集まってパワーが湧き出ている場所を「龍穴」と呼んでいます。龍のうねる胴体は活発に動く気の流れそのものを表しているとされています。目に見えない不思議なものや動きを龍とすることもあれば、中国では龍は「皇帝の象徴」でもあり、歴代の皇帝は龍と例えられていました。

こうして見てみると龍は様々な場所に現れては異なる姿を見せていることが分かります。ですがそれゆえに龍が何たる存在なのか謎は深まるばかりです。

けれど龍について調べていて想ったのですが、「龍とは水である」と答えることが出来るのかもしれません。龍はそもそも『水の力を司る水神』とされていて、いにしえの時代では干ばつが発生すると人々は龍に雨乞いを行って雨水を求めていたそうです。日本に密教をもたらし、弘法大師の名で知られる空海が干ばつの際に龍神に雨を求めて祈祷したところ、雨がもたらされたという逸話が残されています。龍と水との関係から龍のようにうねる川を龍と表現することもあります。また龍神が祀られている場所のすぐ側に池や湖など何かしら水があることも多いようです。

龍が龍神、龍王、気、皇帝の象徴など異なる姿を見せることが出来るのは、水がコップという器の形に沿って形状を変えることと似ているからなのかもしれません。

そして龍が水ゆえに「龍とはこういう存在だ」という考え方も人それぞれ異なってくると想います。水が注がれる器の形に沿って形状を変えるように、龍に対する見解も人ぞれぞれ異なる心という器の形に沿って変化するかもしれないと考えられるからです。はたして皆さんの心にしてその器はどのような形状を成して龍という水を受け止めているのでしょうか。

現代では龍に雨を求めて雨乞いを行うことは無くなりましたが、よく考えてみれば人は何かしら叶えたい目標があれば龍神が祀られている神社へ赴いて願をかけたり、運気を良くしようと風水を試して龍という気を家屋に招き入れようともしています。また気という龍が集うパワースポットである龍穴に訪れてみることもあるでしょう。

時代が変わっても人が龍を見つめることは変わらないようです。雨が降って欲しいという形なき願いが雨となってこの世に現れたように、胸の内に秘めていた未だ形を伴うことのない願いが、雨が降るかのごとく眼の前に現れて現実のものとなってほしいと…。龍に願いを託すことは現代における雨乞いであるのかもしれません。雨という水にして龍を、人はいつの時代も求めているようです。

【龍と暦】
様々な場所で姿を見せる龍は私達の生活を動かす「暦」の中でも息づいているようです。

伝承によると龍は3月21日頃の春分の日になると天に飛翔し、9月22日頃の秋分の日になると地上に降り立ち、淵に身を隠す…と言われています。なぜ龍はこの日に昇り降りするのか考えてみたのですが、これはもしかすると「農作物の成長サイクル」が関係しているのかもしれません。3月の春分から9月の秋分あたりまでの間は農作物の種を蒔いて成長させ、実りを刈り取ることが出来る期間と重なっています。日本人と長年関わってきたお米もおよそこの期間内に実って収穫することが出来ます。

またもう一つ考えられそうなのが「蛇の活動サイクル」です。これもまた伝承によれば、龍は蛇が何百年もの年を経ることで龍になると言われています。そのため龍の原型とも言えそうである蛇ですが、種類によっては蛇は10月頃になると冬眠するために土に潜り、3月の春になると地上に姿を現して活動を始めるのだそうです。蛇が冬眠したり活動を開始する時期が春分と秋分の日に近いことを考えてみれば、龍が昇り降りする理由の一つに蛇の活動サイクルも関係しているのかもしれません。

そして暦を一年と全体的に見てみたら龍は春分と秋分の日のみならず、より深く暦の中に息づいていることが分かりました。

3月3日、女の子の健やかな成長を願う「桃の節句」。この行事はそもそも古い皮を脱ぎ捨てて新しく生まれ変わる蛇の脱皮にちなんだ健康祈願の行事であったらしく、旧暦で最初の巳(み、へび)の日に行われていたそうです。

桃の節句を過ぎて春分の日に龍が天に昇ると今度は5月5日の「端午の節句」。この日は男の子の成長と立身出世を願う行事ですが、この端午の節句も元は菖蒲の花を用いた健康祈願の行事でした。時代が下るにつれて菖蒲(しょうぶ)が武道を重んじる尚武(しょうぶ)へと繋がって、次第に男の子の行事へと変わっていったそうです。

この時期が近づくと鯉のぼりが掲げられるようになりますが、これは黄河の中にある龍門という流れの激しい場所を登り切ることができた鯉は龍になる…という中国の故事が由来となっています。この言い伝えにちなんで鯉のぼりが掲げられるようになりました。蛇が龍になる話があれば、鯉が龍になることもあるようです。

5月5日の険しい龍門と暑い夏を通り過ぎて9月の秋分の日に龍が地上に帰還すると、今度は冬目前となる「11月」。この月は和名では霜月と呼ばれるのが一般的ですが実は呼称は他にもいくつか存在しており、中でも11月には「竜潜月」という呼び名もあります。

この竜潜という言葉は「竜のような英雄や優れた人が世の中に現れて活躍することなく、潜むかのように過ごしている」という意味です。ここでは龍を英雄や優れた人と例えてあります。龍が9月の秋分の日に地上に降りてくるため、月日の流れで言って11月は龍が潜む月と呼ばれるのは納得がいくのではないでしょうか。

3月の春に蛇が冬眠から目覚め、脱皮して龍へと変貌を遂げると春分の日に飛び立ち、5月には鯉が自分も龍になりたいと果敢に龍門に挑み、秋分の日に龍が降り立つと11月は再び飛び立つ春の時を待つように深い眠りにつく…。

一年における龍の動きを見ていたらそれはまるで一匹の蛇が死と再生を脱皮の如く繰り返しているように見えました。農作物の成長と収穫の時期は移ろいゆく季節と時によって動かされるため、農耕と暦は密接に関わり合っています。太陽の光と同じく水も食物の成長に必要不可欠であるため、水の力を司る龍も暦の中に姿を現すようになったのかもしれませんね。どうやら龍は「大自然の一部」でもあるようです。

想えば水には流れるという性質があるので、龍は水に加えて「流れ」というものも司っているのかもしれません。まさに「龍は流」といったところです。風水でも龍が流れるものとして登場していますが、風水は龍がもつ流れという性質に注目している…ということでもありそうです。龍が暦に登場するのも、これは時が流れ行くものだからということなのかもしれませんね。

もしかすると龍は大自然の一部どころか「この世界そのもの」でもあるのかもしれません。時と季節が移ろい繰り返されるのはこの世界が龍で出来ていて、その龍が脱皮を繰り返すから季節の循環が絶えず行われているのでしょうか。どうやら私達は龍という流れの中で生きているようです。

【善女龍王】
かつて空海が龍神に雨乞いを行って雨がもたらされたというそのお話についてですが、この時雨乞いの対象となったのが『善女龍王』という龍神さんです。

善女龍王とは、仏法を守護する龍王の一尊であるサガラ龍王の娘で、まだ8才の幼い童女と伝えられています。善女龍王…または女の部分が如になった「善如龍王」とも表記されます。

空海が善女龍王に雨を求めるに至った経緯ですがそれは遡ること平安時代の頃。干ばつが発生したため空海ともうひとり、守敏という僧侶に雨乞いを行うよう命令が下されました。さっそく空海が雨乞いを行ったのですが雨が降らず不発に終わります。雨が降らなかった原因を探ってみたら、それは空海が雨乞いを成功させて名声を得ることを妬んだ守敏が国中の龍神を瓶の中に閉じ込めて封印していたからなのでした。

しかしこの時、善女龍王は守敏よりも上位である菩薩の地位にいたため守敏に捕らえられることなく自由にいることが分かったため、空海は今度は彼女に対して雨乞いを行うことにしました。善女龍王はインドにある考えられていた無熱池という池に住んでいたらしく、その池から彼女を京都にある神泉苑に呼び寄せて7日間雨乞いを行いました。すると善女龍王は空海の祈りに答え、3日3晩の間雨を国中にもたらして国土を潤したそうです。

時代が下って江戸時代でも干ばつが発生した時、高野山に善女龍王をお祀りするするとたちまち雨が降ったとも伝えられています。話からして善女龍王は人々の心によく応えて雨を降らせる、霊験に満ちた龍神さんであることが伺えます。

空海直筆のものとされる遺言書によると神泉苑での祈祷の際、雨が降る直前に善女龍王が姿を現したそうなのですがこの時『長さ8寸…およそ24センチほどの金色の蛇』の姿で現れたそうです。この時の雨乞いの様子を伝える古事談という文献では『長さ8寸ほどの紫金の龍』だったという話が残されています。インドの無熱池から日本に訪れた彼女は現在、かつて雨乞いが行われた神泉苑に鎮座しています。聞くところによれば彼女が住む池の水は日照りの時でも涸れることが無いのだそうです。

善女龍王は神泉苑での祈祷の際にインドから日本に訪れていますが、訪れてきたタイミングと場所に関しては別のお話もあります。かつて空海は唐にある青龍寺というお寺で密教を学んだのですが、善女龍王はその青龍寺の守護神として祀られていました。空海が日本に帰国する途中、乗船していた船の中に現れて密教を守護することを誓い、日本に訪れたそうです。この時海を渡って日本に訪れたことから青龍寺の名前の「青龍」に水を意味する漢字の「氵(さんずい)をつけて「清瀧」と名がつけられ、清瀧権現とも称されるようになりました。


善女龍王がどんな龍神さんなのか、その詳細が書かれている経典は存在しないそうです。彼女の存在は空海の雨乞いのお話から知られるようになりました。詳細が書かれている経典が存在しないため善女龍王について詳しいことは不明ですが、色々調べていて個人的に想ったことがあります。

龍神さんが地上にもたらす「水」についてですが、中国の有名な哲学者である老子が説いたものの中で『上善如水(上善水の如し)』という水に関する故事があります。これは『本当に素晴らしい生き方、最高の善は水のようなものである。水はありとあらゆる万物に利益を与えながらも自らを主張することはなく、他と争わない。器に従って形を変え、人が嫌がる低い場所にも自ら身を置く』いう内容で、水がもつ特徴を理想の生き方と説いたものです。

上善如水という言葉は理想の生き方を説いたものなのですが、この内容はなんとなく善女龍王も表したような内容である感じがしました。干ばつで干上がった大地を水の力で潤して生命に利益もたらしつつも、自身の存在を強く主張することがなく経典に残されていない事、守敏に捕まらず争わない姿勢でいる事、雨がほしいという願望があった人々の心の器に従い、菩薩という高い地位にいつつもその力は下の地上という低いところにまでに落ちてその場に留まる…。善女龍王はまさに理想の生き方とされた水の如く生きているのかもしれませんね。

風水にて、龍という水にして気が集まってパワーが湧き出るところを龍穴と呼びますが、水が低い場所に降りていくことを考えてみれば龍穴は低い場所に存在しやすい…ということになるのでしょうか。龍神さんが祀られている場所のすぐ側に池など何かしら水があることも多いということでしたが、善女龍王が祀られている場所のすぐ側にはもしかすると龍穴という池が存在しているのかもしれません。彼女によって生み出される龍穴はまるでこんこんと湧き出る泉のようで涸れることがなさそうです。


その善女龍王をイメージした、龍のブレスレットを作成してみました。

日本の伝統工芸の一つである『組紐』を用いて龍を再現。組紐の先端に龍の頭の形をした金具を取り付けており、全体で1体の龍になるよう仕上げました。1本の紐状になっており、手首に2重に巻き付けてご使用頂く2連タイプのブレスレットです。

龍の配色についてですが、金色の蛇あるいは紫金の龍であったという伝承を元に紫色と金色で組み合わせてみました。紫金とは本来紫色を帯びた金色のことを指すのですが、ここでは紫をベースにしてところどころ金色に輝く姿にしてみました。また同時に仏教にて、紫色を帯びた純粋で最上級の黄金を示す「紫磨金」というものもイメージしています。

色にはそれぞれ意味やイメージが存在するのですが、紫色には高貴・高級といった意味があります。これは昔、紫に染めることが出来る染料は希少であったため紫色は位が高い者のみが使用できた色でした。そのため紫色に高貴や高級という印象がつくようになったそうです。

飛鳥時代では階級によって着用できる色の服に順位があったのですが、中でも紫色は最高位を示す色とされていました。かつて紫色が最高位を示す色とされていた事を考えてみると、善女龍王がもしも紫色を纏う龍神さんであった場合、彼女は高位の龍神さんなのかもしれませんね。

作成した龍には体の色と同じ紫と金の色合いをもつ天然石の「アメトリン」を組み合わせてみました。

【アメトリン(紫黃水晶)】…8ミリ
石言葉…光と影、調和、安定

キーワード…
龍(流れ)を見つめる


アメトリンは半分が紫色でもう半分が黄色という姿をもつ天然石。この石はアメジストという紫色の石とシトリンという黄色い石が混ざりあったものです。紫色のアメジストは熱が加わると黄色のシトリンに変化するのですが、アメジストがシトリンへと変化する途中に何らかの理由によって熱が加わらなくなって変化が途中で止まった結果、片方がアメジストでもう片方がシトリンとして残ります。こうして2色が共存しているものをアメトリンと呼びます。

アメトリンはまるで紫色に染まる美しい夕焼けを想わせる姿をしています。ですが紫と黄色という奇抜な配色ゆえにアメトリンを見た時は逢魔が時のような、妖しい印象を感じることもあるのではないでしょうか。まるでハロウィンカラーのような色合いでもあります。光と闇が混在し入れ替わる瞬間である逢魔が時のような雰囲気、そしてシトリンの明るさが光のようでアメジストの妖しさが闇を連想させるためか、アメトリンは「光と影」という石言葉をもちます。

アメジストは龍が目覚める前の2月の誕生石であり、シトリンは龍が眠る竜潜月の11月の誕生石です。アメジストは男女の愛を結びつけるバレンタインがある2月の誕生石であるゆえか、アメジストは人と人を結びつける愛の守護石とも言われています。風水ではアメジストを室内に置くと気の流れを良くするとも言われています。気が流れる道である龍脈に反応するようです。

想えば恋愛において好意がありそう…付き合えそうという感覚を「脈がある」といいますが、アメジストはこの「脈」にポイントがあるのかもしれません。恋愛において男女の間に流れ始めた脈に反応するゆえにアメジストは人を結びつける愛の守護石と呼ばれるようになったのでしょうか。風水では龍脈という脈に反応し、その流れを整えようとするのでしょう。アメジストは恋愛でも風水で見ても、脈を見出す才能があるようです。

11月の石であるシトリンのその名前はシトロンという柑橘類の果実から来ています。シトリンのその色合いは稲穂が実りを迎えて黄金色に輝く秋の頃の風景であり、また日が沈む頃の黄昏時のような雰囲気があります。黄色は黄金と色が似ていることと、穀物を育んで実りをもたらす土の色でもあることから「実りや豊かさ」を意味する色です。色がもつ意味合いが反映されているようでシトリンは富や繁栄という実り・豊かさをもたらすと信じられてきました。

シトリンと縁のある11月は世界的にみてみると収穫への感謝と故人を想う行事が同じタイミングで行われるようです。11月に入る前の10月31日には「ハロウィン」が行われますが、この行事はケルト人の文化であったサウィン祭という行事が起源と考えられています。ケルトでは10月31日が大晦日にあたり、11月1日を新年としていたそうです。10月31日はあの世とこの世を隔てる扉が開かれて故人の霊が地上に訪れると考えられ、また同時に収穫を感謝する祭りが行われていました。日本でも11月は収穫を感謝する「新嘗祭」が行われます。

ケルトのように収穫を感謝する行事と故人が地上に訪れる時期が重なっているのは、見えない世界との交流が新たな豊かさを生み出す…ということなのだからかもしれません。シトリンも「見えない世界(未知の世界)」という自分がまだ関わったことのない異業種の人々とのご縁を結び繋げていきそうです。

話からしてアメジストもシトリンも人を結びつける力がある様子が見られます。実は色相環において紫と黄色は反対色で対になる関係にあります。対になる関係ですが争う姿勢をもたずむしろ全く逆で共存しています。ゆえにアメトリンには「調和、安定」という石言葉が当てられたのかもしれません。

脈に反応するアメジストと豊かさを意味するシトリンを併せ持つアメトリンはまるで龍穴のようです。アメトリンは豊かさの脈を感じ取って人と人を結んでは実りをもたらし、共に喜びを分かち合い笑顔でいられるような賑やかな時をもたらしていきそうです。まるで気が集まってパワーが溢れる龍穴のように、人々が集まって活気が溢れ出る泉を生み出すのかもしれません。


美しい夕日がみられるその「西」は善女龍王がかつて鎮座されていた青龍寺および唐がある方角でもあります。

闇のようなアメジストがおかれる2月は龍が再生して飛び立つ春目前であり、これから訪れる春という光の世界を見つめます。光のようなシトリンがおかれる11月は冬目前で、これから先訪れる冬という闇の世界を見つめています。

この2つを併せ持つアメトリンと同じ紫金色を纏っていそうな善女龍王は、かつてご自身が鎮座されていた青龍寺がある西を見つめられていそうです。ある時西の空で紫と黄色に染まる夕焼けが見れたら、その時は善女龍王が西に想いを馳せて懐かしんでいらっしゃるのでしょうか。

善女龍王は日本に雨をもたらすため、偏西風のように西から東へと流れ着きました。彼女が東を見つめれば実りという繁栄に繋がる紫金色の雨がもたらされるのかもしれません。西から差し込む夕日はまるで彼女の後光のようです。

▷サイズ…アメトリンからカニカンまで含めておよそ40センチ+アジャスターで約4センチ延長可能

※アメトリンは非常に色が薄くなっております。一見わかりにくいですが光を透かしてみると2色に分かれているのが分かる程度です。(見る方の視力など、見え方には個人差がございます)。アメトリンは強い光に当てると色が退色する性質があるため、ご使用頂くにつれて色味が薄くなっていく場合がございます。

また紫と黄色の配色の割合が石によって異なります。今回使用したものは黄色のシトリンの部分がほとんど多く、紫色のアメジストの部分はごくわずかです。使用しても良いと判断して使っています。もしこれらにご納得いただけない場合がご購入をお控えください。購入=了解したものとみなしております。恐れ入りますがご了承くださいませ。

▷素材…組紐:レーヨン、ポリエステル 
龍頭:コーティングとして表面にレジンを使用しています。

▷ご注文前に必ずサイズとお取引ガイド https://soushingu333.handcrafted.jp/items/26216360 の確認をよろしくお願いいたします。

▷写真の撮り方に気を付けていますが、お使いの機種や端末・PCによっては色味に若干の差が出る場合がございます。カメラの性質上、とくに紫色は青に見える場合がございます。

▷ハンドメイドです。龍頭や目、キャップの部分はボンドでしっかりと固定しておりますが、強く引っ張ったり爪や鋭利なもので引っ掛けてしまうと取れてしまう可能性がありますのでご注意ください。また組紐の部分も鋭利なものが引っかかると糸がほつれたり永くご愛用いただくにつれて経年劣化する場合がございます。

▷龍頭部分にレジンを使用しております。経年劣化したり、強く擦ると塗装が取れてしまう場合がございますのでご注意下さいませ。またレジンでお肌が被れやすい方や金属アレルギーをお持ちの方が身に付ける際は自己判断でお願いいたします。

▷金具はできる限り、変色しにくいサージカルステンレスのものを使用していますが、一部の金具は非サージカルステンレスとなっております。また金具部分はご使用いただくにつれて変色が見られる場合がございます。恐れ入りますがご了承くださいませ。

▷天然石や龍にまつわる話をご紹介しておりますが、あくまで楽しむ程度でお考えくださいませ。

▷返品・交換とサイズ変更不可となります。

▷当ショップはいかなる宗教団体にも所属しておらず無関係です。

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